亀岡大郎取材班グループ

創業者について

当社グループ創業者 亀岡大郎 について

創業者 亀岡大郎当社グループを創業した亀岡大郎(1926〜2019)は「足で書く」を身上にして活動して来た経済ジャーナリストで評論家だ。

30~40歳代は大手雑誌、新聞、TVなどを舞台に経済のヒット記事を発表してきた。

49歳で亀岡大郎取材班を設立してからは、若手の育成に情熱を燃やすと共に、各種の専門新聞、雑誌を発刊するメディア企業の経営にも手腕を発揮した。

生涯を記者として生き抜いた亀岡は、90歳を過ぎてからもグループ新聞企画の「トップ対談」などで、取材の前線に立ち続けて来た。(享年93歳)。

大正15年(1926年)、戦時中の京城(現在のソウル)で生まれる。近畿大学中退。

戦後、広島新聞社会部記者、野田経済研究所、などを経て新大阪新聞社で経済部長。同紙上で「北浜大郎」のペンネームで書いた株式予想が大好評を博した。

昭和43年(1968年)に新大阪新聞を退社し、経済評論家として独立。以後、雑誌、テレビなどを舞台にジャーナリストとして取材、執筆、講演などでさらに精力的に活動。文藝春秋、週刊文春、週刊現代、サンデー毎日、などの誌面で、「日本ランキング戦争」「大企業 ― その人間ピラミッド」など独自企画の連載を含め、数多くの経済、財界問題記事を発表して来た。

大手出版社より著者も次々と刊行。「株の秘密」(講談社)、「ゲリラ商法」(KKベストセラーズズ)、「財界人太平洋戦記」(文藝春秋)、「自動車戦争BIG3対日本」(講談社)、「三菱対住友ー日本経済の主導権争い」(文藝春秋)、「乱世商法」(サンケイ新聞社),「先の読めない奴は没落する」(サンケイ新聞社)、「人マネでは儲からない」(実業の日本社)、「日本の挑戦」(文藝春秋)など、著者は60冊を超えている。

昭和49年(1974年)には、東京・銀座で(株)亀岡大郎取材班を設立し、経済に強い記者集団組織を立ち上げた。大手出版社の編集者からは、その猛烈なまでの取材力と原稿執筆の速さにより「原稿製造工場」とまで呼ばれていた亀岡だが、50歳を前にして、1人の力での活動に限界を予感。集団的な取材・執筆活躍への転換を計ったものだった。

亀岡はその後、取材班を大手メディアからの依頼による取材・執筆集団から一歩前進させ、経済専門の通信社に発展させた。全国の地方新聞15社と原稿送信契約を締結したもので、亀岡は「合理的な取材システム」と呼んでいた。さらに1980年代以降は、社員独立による分社化制度をスタート。1990年代にかけては次々と若手社員を「独立分社化」の社長として世に送り出した。これが現在に至るグループの原型となった。

その一方、還暦を過ぎてなお取材意欲に燃える亀岡は、グループ会社の1社「全国賃貸住宅新聞」を晩年のフィールドに定め、グループ代表の役割と共に、その経営に情念を注いだ。以後30年間は、経済評論家としての対外的な活動から徐々に転向して、賃貸住宅市場の経営者との交流に力を注ぎ、同紙の名物企画「亀岡大郎のトップ対談」は、実に1000回を数えた。

49歳で取材班グループを創業して以来40有余年、90歳を過ぎてもなお取材現場と経営の前線に立ち続けた亀岡だったが、2019年6月28日に、老衰のためその生涯を終えた。